サルタの禅のことば

”禅のことば”とは、長い間受け継がれてきた、心の悩みを和らげてくれることばのことです。 こころが沈んだ時、社会生活に悩んだ時、人との関係に行き詰った時、 ふっと思い出して、触れてみる、こころを豊かにしてくれる禅のことばに触れていきます。

全機現 禅の言葉です

"全機現" 

ぜんきげん

と読みます。長い間親しまれてきた禅の言葉です。

社会生活に役立つ言葉。

言葉が伝えようとしているのは

 

生きている、今が全て のことです。

生きている、今この瞬間に、すべてを現ずるということです。


いま、生活している現実は、それ以上でも、以下でもなく、ありのままの状態です。


欲しいものがあっても、いまは買うお金がなければ、買わなければいい。


今ある、お金で買えるものを買えばいい。


今は、今の現実を見極めて、今の状況を実行する、そして、その現実を向上する努力をすることです。

 

 

 

和顔愛語 禅の言葉です

"和顔愛語" 

わげんあいご

と読みます。長い間親しまれてきた禅の言葉です。

社会生活に役立つ言葉。

言葉が伝えようとしているのは

 

笑顔と思いやりのある話方 のことです。

 

和やかな笑顔と思いやりのある話し方で人に接すると、相手も、その言葉によって心が明るくなり、幸せを感じるものです。

仕事の事、人間関係、家族関係などなど不満や不安が生じてくると、顔の表情が硬くなって言葉も尖って来てしまいます。


笑顔になって、優しい言葉で話してみてください。


相手も、やはり優しい反応をしてくれるはずです。


ひとが、本来持っている優しさを表現することが大切です。

 

 

 

水急不月流 禅の言葉です

"水急不月流" 

みずきゅうにしてつきをながさず

と読みます。長い間親しまれてきた禅の言葉です。

社会生活に役立つ言葉。

言葉が伝えようとしているのは

 

本来の自分保つ のことです。

 

川を下る水は、とても急な流れで、木や岩までも流してしまいます。

しかし、その水面に映る月は、どんな激しい流れにも流されることがないとの意味。

水の流れを世間ととらえ、月を自分の心ととらえると、世間に波風が立とうと、本来の自分を保ち続けることは大切なことです。


現代は、情報過多の時代です。


その情報に惑わされて悩んだりしてしまいます。


人はそれぞれです。

自分は自分です。

 

 

 

人間到処有青山 禅の言葉です

"人間到処有青山" 

じんかんいたるところにせいざんあり

と読みます。長い間親しまれてきた禅の言葉です。

社会生活に役立つ言葉。

言葉が伝えようとしているのは

 

ひとはどこに居ても生きていける。 のことです。

 

世の中は広く、どこででも骨を埋める場所ぐらいあるとの意味。


大望を成し遂げるためにならどこにでも行って、大いに活躍するべきであるということ。


ひとは、どうしても今居る場所に固就してしまいます。


それは、会社であったり住んでいる場所であったりです。


もし、何かを行う機会が来て、今居る場所から離れなければならなくなった時、自分さえしっかりしていれば、どこに行っても大丈夫だと考えることです。

 

 

夏炉冬扇 禅の言葉です。

"夏炉冬扇" 

かろとうせん

と読みます。長い間親しまれてきた禅の言葉です。

社会生活に役立つ言葉。

 

言葉が伝えようとしているのは

 

時期に外れて役に立たない。 のことです。

夏の囲炉裏、冬の扇と時期が外れていて、今は役に立たない物事のたとえ。


夏の今、役に立たない囲炉裏でも、いらないからと言って壊してしまったり捨ててしまったりはしません。

また、冬になれば、周りを暖かくしてくれ、なくてはならない物になります。


眼の前のことで、人を判断して決め付けたくは無いものです。


自分も、いつかはと努力したいものです。

 

 

動中静 禅の言葉です。

"動中静" 

どうちゅうのじょう

と読みます。長い間親しまれてきた禅の言葉です。



社会生活に役立つ言葉。

 

言葉が伝えようとしているのは

 

騒がしい中に居ても心の静けさを保つ。 のことです。

静かな心は静粛な環境からしか得られないとの考えではなく。


騒がしい日常の生活の中に居ても、周囲の声に惑わされることなく冷静な心を持つとの意味です。


社会生活をする限り、周囲のいろいろな事柄に惑わされてしまいます。

自分の評価を気にして神経質になりすぎてしまったり、心を塞いでしまったりです。


騒がしい世の中に居ても、静寂な心をもち、周囲には惑わされないようにしたいものです。

 

 

白雲抱幽石 禅のことばです。

"白雲抱幽石" 

はくうんゆうせきをいだく

と読みます。長い間親しまれてきた禅の言葉です。



社会生活に役立つ言葉。

 

言葉が伝えようとしているのは

 

人は、時には一人の時間を過ごすことも大切です。 のことです。

深山幽谷に住居を構え湧く雲のごとく、ひとり悠然と木石を友として、風景を楽しむ様子を表す詩の中の言葉。


社会生活の中で、常に誰かといなくてはならない、孤独になることは不幸なことだと思いがちですが、人は本来孤独なものです。


無理に他人と過ごそうとすると、大きなストレスを感じてしまいます。


ときにはひとりだけの時間を持つことも大切です。


ただ、流れる雲のように悩みや世間とのしがらみを忘れて過ごして、みましょう。

 

 

薫習 禅のことばです。

"薫習" 

くんじゅう

と読みます。長い間親しまれてきた禅の言葉です。



社会生活に役立つ言葉。

 

言葉が伝えようとしているのは

 

人も互いに影響し合って自分を変えていく。 のことです。


常日頃、香を薫じていると、その香りが衣服などに映り、とても良い香りになる。


人も、付き合う人によって、精神や行いが心の奥底まで影響を与えていくことを意味します。


人は、身を置く環境が人間関係に影響します。


自分を変えたい時は、付き合う相手を選んで、そのひとから影響を受けてみることです。

 

 

行住坐臥 禅の言葉です。

"行住坐臥" 

ぎょうじゅうざが

と読みます。長い間親しまれてきた禅の言葉です。

社会生活に役立つ言葉。

 

言葉が伝えようとしているのは

 

日常生活のすべての行為 のことです。


日々暮らしているなかでの行動、立ち居振る舞いに気を付けることが美しい心を生むという教えです。


本当は優しい心をもっていたとしても、乱暴な振る舞いをしたり、雑な言葉を話したりしていると、心も荒んでくるものです。
心とからだは一体化したものなのです。
美しい立ち居振る舞いは、日々の心がけで身に付きます。

 

 

一日不作一日不食 禅の言葉です。

"一日不作一日不食" 

いちにちならざればいちにちくらわず

と読みます。長い間親しまれてきた禅の言葉です。

社会生活に役立つ言葉。

 

言葉が伝えようとしているのは

 

自分が、日々なすことを自身で課す。 とのことです。


「働かざる者、食うべからず」ではありません。


人は、生きていく過程で、何事かを行う事が大切であるとの意味です。


日々の生活にて、自らに課した成すことをすることで、穏やかな心をつくりあげることが出来るのです。


年老いても出来る範囲でのことを毎日行うことが大切なことです。

 

 

 

 

李花白桃花紅 禅のことば

"李花白桃花紅" 

りかはしろく とうかはくれない 

と読みます。長い間親しまれてきた禅の言葉です。

自分を見つめ直し、本来の自分を感じることで幸福になれる言葉です。

 

言葉が伝えようとしているのは

 

他を羨まず、あるがままが、いちばん美しい とのことです。


何もしなくても、あるがままの姿が美しいとの教えです。


すももの花は白です。


ももの花は紅です。


すももの花を紅に染めても白くそのままに咲いている方が美しいのです。


ひとも他人を羨んで、自分を飾ったりして、無理に別の者になると、本来持っている美しい個性を潰してしまいます。

 

 

 

 

破草鞋 禅の言葉です

"破草鞋" 

はそうあい 

と読みます。長い間親しまれてきた禅の言葉です。

自分を見つめ直し、本来の自分を感じることで幸福になれる言葉です。

 

言葉が伝えようとしているのは

過去の実績や功績に執着せず平凡な心境で暮らす。 とのことです。


今は履き古されて、打ち捨てられた草鞋のこと。


今までに、苦労して学んで来たこと、つらい練習に耐えて来たこと、努力して生きてきたこと。


それらのことの証が今の自分です。


苦労してきた、努力した、などの境遇に執着しないで、今を平々凡々、一個の破れわらじのように、その存在すら知られずに、証の身だけを感じて生きていく境涯のこと。

 

 

 

放下着 禅のことばです。 

"放下着" 

ほうげじゃく 

と読みます。長い間親しまれてきた禅の言葉です。

自分を見つめ直し、本来の自分を感じることで幸福になれる言葉です。

 

言葉が伝えようとしているのは

 

執着心を捨てて、心穏やかに暮らす とのことです。


何もかも捨てた時に悟りが得られるとの意味の言葉です。


人が暮らしていく中で、何もかも捨ててしまうことは、なかなか難しいことです、実際何もかも捨ててしまっては暮らしが成り立たないことでしょう。


心の中の不要なものを捨て去ることは、可能なはずです。


その多くは、見栄であったり自尊心です。

それらは、実は不安や悩みの種になっているのです。


捨て去ることで、安定した暮らしが望めるのです。

 

 

 

無事是貴人 禅の言葉です

"無事是貴人" 

ぶじこれきにん 

と読みます。長い間親しまれてきた禅の言葉です。

自分を見つめ直し、本来の自分を感じることで幸福になれる言葉です。

 

言葉が伝えようとしているのは

 

毎日を平凡に暮らす平穏 とのことです。


禅語としての「無事」とは、外に向かって求める心をすっかり捨て切ったさわやかな境涯です。

求める心を捨てるとは無気力無関心、惰性で生きろということではありません


求める心を捨て、欲を捨て純粋な自分を感じると、安らぎの境地を心の底から実感出来ます。


その様な境涯で暮らす人を貴い人であるということなのです。

 

 

百花為誰開 禅の言葉です。

"百花為誰開" 

ひゃっかたがためにひらく 

と読みます。長い間親しまれてきた禅の言葉です。

自分を見つめ直し、本来の自分を感じることで幸福になれる言葉です。

 

言葉が伝えようとしているのは

 

無心の奉仕の気高さ とのことです。


春になると美しく咲き乱れる花は誰の為に咲くのでしょう

もちろんのこと花は誰の為でもなく、ただ無心に咲いています。



だから、素直に美しいと感じられるのです。


人も日々の行為に見返りを求めずに生きたいものです。


自分の行為を誰かに認められたいとか褒められたいとかの気持ちを持っていると、その見返りがなかった場合の寂しさ、悲しさ、嫌悪感などがより増してきてしまうものです。